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バートランド・ラッセルのポータルサイト


(1945年11月28日、英国上院での演説)
ラッセル「核兵器と核戦争の危険について」(松永芳市訳)
『中道』(松永芳市・編集発行)n.21(1972年9月頃?)pp.8-19.

* 松永芳市氏(弁護士、故人)は当時、日本バートランド・ラッセル協会監事
* (松永芳市記)バートランド・ラッセルは1945年11月28日、英国上院において、下記のような演説している。これは『人類に未来はあるか』(理想社発行:日高一輝訳)にも登載されている。ラッセルはこの本の中で、精神文明はほとんど進まず科学文明だけの進歩で、人類はそうした科学文明のために自滅するのではあるまいかと憂慮し、多数の著書の中でこの本だけは多くの人々に特に読んでもらいたいとある人に語ったということである。私は(1972年)8月6日の原爆の日に、彼の演説だけを訳してみた。これは27年前の古い演説ではあるが、この趣旨は今日もまだ生き、将来もまた永く生き続けるだろう。


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「上院議員の皆さん、皆さんの前に立って所見を申しあげることは、私には面はゆく、全く自信がありません。と申しますのは、上院において私が皆さんに所見を申しあげたのは前に1回あるだけであります。それに昨日と今日と、皆さんのなさる討論を拝聴しまして、壇上に立たれる各位が、私の持っている10倍もの政治的知識をお持ちであり、私が生涯に経験したものの20倍もの経験をお持ちであるように感ずるからであります。ですから私が何かしらお話するのは、まことに僭越至極なことと思われるのであります。ではありますが、同時に私が今ここに話の範囲を限定して申しあげたいと思う論題−「原子爆弾とその取扱いについての政策はどうあるべきか」−は、非常に重大でありまして、どうしても沈黙を許しません。それが人類の将来に何を意味するかについて、何がしかを申しあげねばならないことを痛感するのであります。

 私は、どなたもよくご存知と思う技術上のほんの2、3の点からお話したいと思います。まず第1に原子爆弾は申すまでもなく、まだ幼少時代でありますが、非常に急速に、もっともっと破壊力が大きくなり、そして、はるかに安価に生産されるようになることが確実であります。破壊力が急激に増大することと、生産費がもっと安くなるということは、2つとも間違いないものと考えてよいと思います。それから、もう1点、オリファント教授によって提起されたものがあります。すなわち、原子爆弾によって生ずる放射能物質には、それを散布すれば、一時に広範囲に亘って、すべての生物、人間ばかりでなくすべての昆虫類まで、ありとあらゆる生きものを殺す力があると思えるのでありますが、それを特定の地方に吹きつけることが比較的簡単になるであろうということであります。それからさらに多分いくらかもっと将来のことになると思いますが、もう1点あります。議員の皆さんもご存知のように、核からエネルギーを引き出す方法として、理論上、2つの方法があります。その1つは、今日実際に用いられている方法で、重い核を分裂させて、中位の重みの核にするやり方であります。もう一つは、まだ実際には用いられていませんが、そのうちに用いられるようになると私は思います。それは水素の原子を融合して、より重い原子、ヘリウムの原子を造る方法、それは多分最初の段階では窒素の原子を造ることになりましょうが、そうした方法であります。そうした融合の過程によってエネルギーを引き出す方法が完成しますと、ウラニウムの原子の分裂によってなされるエネルギーの放出よりも、はるかにはるかに大きいエネルギーの放出ということになりましょう。現在のところ、まだこの方法は全然行なわれていませんが、太陽の中と、他の恒星の内部で起きていると考えられています。それは自然界では太陽の内部において起きている温度と同じ温度になったときにだけ起きるのであります。既存の原子爆弾は、爆発の際に、太陽の内部にある温度に大体近いと考えられる温度を発生します。ですから、現在の原子爆弾の装置に類似したある機械装置を造って、もっともっと猛烈な爆発−もし人類が水素から、より重い元素を融合することができるようになれば、その為し得るところの猛烈な爆発− を起こさせることに用いることができるということも可能であります。

 以上申しあげたようなことは、もし人類の間に科学文明が進歩をつづけ、それによって自滅することがなければ、必ずみんな起きるに間違いありません。みんな発生せねばならぬようになっています。われわれは、このことを単純に、今後の2、3年はどうかという見地から観察したくありません。われわれはこのことを、人類の将来という見地から観察したいと思います。問題は簡単であります。科学的社会というものは、いつまでもつづけることが可能なのでしょうか。それともかような社会は必然的に自らを破滅へと導かねばならぬものでしょうか? これは簡単な問題でありますが、非常に重大なものであります。私は原子エネルギーを利用する場合、そのうちに存在する悪の可能性の重大なことを、いかに大きく述べても言い過ぎということはないと思います。私は市中を歩き廻り、セントポール寺院とか、大英博物館とか、国会議事堂とか、その他われわれの文明を記念するものをいろいろ見るのでありますが、ふとその時、私の心の眼の中に、これらの建物がこわれ、そのあたり一面に死体と一緒に瓦礫が山のように積まれているむごい光景を悪夢のように見るのでありますそうしたことは世界が、戦争廃止の方法を見いだすことに合意しようとしなかったならば、われわれ自身の国や都市においてばかりでなく、文明化した世界全体に亘り、現実の可能性として、われわれが遭遇せねばならぬことであります。それは戦争を少なくすることだけでは不十分であります。大きな、危険な戦争は廃止せねばなりません。もしそうでなかったら、以上のようなむごいことが起きるでありましょう。

 戦争を(この地上から)なくすることは、もちろん非常にむつかしい問題であります。この問題を何とか処理したいと試みている方々に、私はケチをつけようとは思いません。私はその方々よりも、よりよいことを為し得るとは少しも考えません。戦争廃止は人類がどうしても解決せねばならぬ問題であることをひたすら感ずる次第であります。これを解決しなかったならば人類は脱落し、この地球はわれわれ人類がいなくなって、恐らく、(他の生物からみれば;地球総体からみれば、)より幸福なところとなりましょう(←皮肉)。もっともそうした見解にわれわれ(人間)が加わることは、期待できぬことではありますが。ともあれ、われわれは戦争廃止の問題を処理する方法を見い出さねばならぬと思います。だれもがよく知っていますように、眼前に横わたる困難は、この問題を処理するうえで、ロシヤと協力する方法を見い出すことがむつかしいということであります。首相がワシントンで達成されたことについては、首相は恐らくその時に達成できる限りのことはされたことであろうと私は思います。私は首相があのときあれ以上のことを為し得るとは想像しません。私は原子爆弾が造られる正確な方法を、ロシヤに無条件に、すぐさま教えることに賛成する人々に組みするものではありません。その方法を教えるには条件が付せられねばならぬということは正しいと私は思います。しかし私が条件を作るとすれば、その条件は単に国際的な協調を容易にするところのものであって、それらはいかなる種類、性質のものでありましょうとも、国家本位の目的を持ったものであってはならぬという条件であります。われわれ英国人にしろ、アメリカ人にしろ、われわれ自身のために何らかの利益を求めてはなりません。しかし、われわれがロシヤに原子爆弾製造の秘密を教えるべきであるとすれば、それはロシヤ人らも進んで協力するということが根本条件になっていなくてはなりません。
 ロシヤ人が進んで協力するという条件のもとにおいてならば、出来る限り早く原子爆弾についてのすべての秘密を彼らロシヤ人にも知らせてやることが正しいと私は考えます。もちろん私は秘密というものは、そう長く保てるものでないということを若干考慮に入れて左様に考えるのであります。2、3年のうちに、ロシヤ人が現在アメリカ合衆国で造っている原子爆弾と効用において、寸分違わぬものを持つようになることは疑いないと思われます。ですから、原子爆弾の製法の秘密が、交渉上の利点であるとしても、われわれがそうした利点を持って交渉できるのは、非常に短かい期間での問題に過ぎません議員の皆さんも、ご承知のように、原子爆弾の製造に関係を持っていた科学者の全部が、その製造過程を今すぐにでも発表したいと非常に熱心に希望しています。私は前に述べた理由で、それには全面的に同意しかねるのでありますが、われわれとロシヤとの間に、より誠意のある、より完全な協力を得る一つの方法として、そうした科学者らの気持を利用することは可能であると私は考えます。私は外相のなされた演説を聴いて、それを心から支持するものであります。ロシアの協力を獲得する方法は、相手の協力の望ましいことを、単に口さきで述べるだけでは効果がないのではあるまいかと、私は考えるのであります。われわれが、人類の死活に関するほどの重大事であると考える問題に取り組むときには、毅然たる態度が絶対に必要であるというふうに私は考えます。ほんとうの協力を得るには、単に相手のところに行って協力を懇願するよりも、むしろある毅然たる態度でそれに当たるほうに、目的達成の可能性がより多いと私は考えます。私は以上の問題に取り組むに当たって採られた外相の基本的態度に完全に同意します。

 原子爆弾を戦争の手段として利用することは、自分ら以外の他のすべてのものを破滅させるばかりでなく、自分ら自身をも破滅させることを意味するのであるが、それをロシヤの政府にわからせることができるよう、希望すべきものと私は考えます。それは、途方もない空想的な希望であると私は考えません。われわれは、このことは全人類共通の利害の問題であり、国家間で対立するような利害の問題でないことを、彼らにわからせることができるよう希望せねばなりません。もしこのことが説得力のある態度で彼らに伝えられたならば、彼らもわかるようになることを私は信じて疑いません。それがわかるということはたいしてむつかしいことではありません。ですから、彼らがもし政治とか政策とかいうことから離れ、そして国家間の競争ということから離れていたならば、彼らもそれがわかるだけの十分な知性を持っているものと考えざるを得ません。何人もがたびたび経験するように、人に対し、疑惑を持つ場合があります。そうした疑惑を相手が持った場合に、それを克服することのできる唯一の方法は、完全に徹底した率直さで次のように述べることであります。'われわれが死活の問題と考える事柄にこれこれのものがありますが、他方において、あなたがたにも死活の問題と考えられるような事柄がありましょう。あなたがそれを主張されることを、われわれはこころよく承ります。われわれとあなたがたと双方が非常に重大だと考える点がもしありますならば、どちらの側も、相手側をせん滅しようとする考えをやめて、妥協点を見い出すことにしましょう。相手方のせん滅などということは何人にとっても何んの役にも立たぬことです'と。私はもしそうした説得がロシヤ人に対して、政策的なものを加味せず、全く率直に為されたならば、彼らもわれわれと同様に、そのことをわかってくれるだろうと考えざるを得ません− 少なくとも私はそれを望みます。

 私はこの問題について、科学者たちを、ある程度利用することができるだろうと考えます。科学者らは、大量殺人の兵器(原子爆弾)を造ったということで、ひどく良心の苛責になやまされ、極度に不安の状態にあります。彼らは、原子爆弾の製造は、当時としては止むを得なかったことを知っていますが、それをよいことであったとは考えていません。その原子爆弾が人類をおびやかしている惨たんたる災害を、いくらかでも緩げることのできる仕事を見つけ、彼らにそれを割り当ててやることがもしできるならば、彼らは非常に感謝するでありましょう。彼らは、恐らくわれわれの中の人々のように政策問題の渦中にはいっていないので、ロシヤ人らを説得することが、われわれらよりもうまくやれるでありましょう。彼らは、少なくともロシヤの科学者らと会談することができるでしょうし、そしてほんとうの協力への途の糸口を見い出すだろうと私は思います。われわれの前途には、ある程度の時間の余裕があると思われます。世界はいまのところ、戦争に疲れ気味であり、今後10年間に大戦争はあるまいと想定しても、それが不当に楽観的であるとは考えられません。ですから、われわれは必要なほんとうの相互理解を生み出すことのできる時間的余裕をある程度持っているわけであります。(松下注:1950年、朝鮮動乱勃発)

 そこに1つの困難があります。私の考えでは、その困難はわれわれの側には必ずしも十分に理解されてはおりませんけれども、ロシヤ人が常に感じている− しかも正しく感じている、外見ばかりでなく正しく感じている− ことがらであります。すなわち、利害衝突のいかなる場合でも、ロシヤ人はいつも一方の側に立たされ、他国人はみな反対の側に立つもののように〔註〕感じていることであります。ロシヤ人らは、3大強国(日独伊)対5大強国(英米仏ソ中)の問題の場合に、それを感じました。その時ロシヤは一方の側で、2国ないし4国が反対の側でありました。相手の国民がそうした感情を持っているとき、その国民と交渉する場合、われわれに幾分思いやりのあることが必要であり、そして彼らが多数に屈服するなどいうことは決して期待すべきでないというふうに私は思います。他の全部の国を相手に廻わして戦っているのだと彼らが感じているときに、そうした期待をすることは不可能であります。継続的な国際間の協力を招来するには、来るべき何年もの間、数々の如才ないやり方をせねばならぬことは疑いないことでありましょう。
(註)第二次世界大戦中の対戦諸国で、3大国とは日・独・伊で、5大国とは米・英・仏・ソ連・中国を指す。大戦中、ソ連はとかく孤立し、相手側は2国とか4国とかと組んでソ連に当たって来たように感じたという意味です。

中道会のパンフレット(ラッセル「原子爆弾について)表紙画像
 現代の世界の眼の前に出される提案として、「国際連合を原子爆弾の貯蔵所にする」という案に代わるよりよい提案は私には見当たりません。(ただし)私はこの提案に非常に多くの期待が持てるとは考えません。というのは国際連合は、少なくとも現在のところ、強大国に対して戦争を仕掛けることのできるほどの、強力な軍備を持つ組織体ではありませんし、その上、最終的に原子爆弾の所持者になるとしたなら、どうあっても強大国と戦って勝てるほど十分に強くなければならぬのに、それには今のところほど遠いからであります。強大国と戦って勝てるほどの国際的組織体を創建することができるまでの間は、われわれは確実に安全とはいえないでしょう。原子爆弾の使用または製造の禁止のいずれであろうと、紙の上でいかように禁止しても、なんの役にも立たないと私は考えます。というのは、今のところその禁止を強行することができませんし、或る国がもし戦争をほんとうに考えているならば、そうした禁止に従うことの不利益は、その禁止を犯すことから来る不利益よりもより大きいからであります。ですから、そうした紙の上での取りきめは、それだけでは、なんらの力も持たないと私は考えます
 皆さんは、こうした武器(原子爆弾)を国際的管理にする意志を、まずもってつくらねばなりません。そうした意志が存在するようになれば、国際的管理の機構をつくることは容易でありましょう。そればかりか、一たびその機構が存在するようになりますならば− ひとたび強力な国際的な組織体、原子のエネルギーの使用についての唯一の貯蔵所というべき組織体を持つようになりますならば− それは自動的に永続する組織となりましょう。それは大きな戦争をほんとうに防止するでありましょう。政治的活動の習慣がその組織を中心として成長するでありましょう。そしてわれわれは、戦争が世界から消えてなくなることを本気で希望することができるでありましょう。このことは、もちろん非常に大きな仕事であります。しかしこの仕事はわれわれみんながどうしてもせねばならぬものであります。すなわち、将来、戦争がなくなるか、さもなくば、文明化した人類のすべてがいなくなってしまい、皆さんも単なる残存者、辺鄙な地方のほんの僅かの人々− 非科学的で原子兵器等の破壊的な機具を製造する能力のない人々− と一緒に残されるかのいずれかでありましょう。生き残ったものは、そうした破壊的な機具を製造することができないほど非科学的であると思われる人々だけであり− 文明の伝統のすべてを失った人々でありましょう。文明の伝統のすべてを失うことは真に重大な悲惨事であることを、世界中のすべての文明諸国民が、悟るべきであると私は考えます。彼ら文明諸国民は、多分そんなにおそくはならないうちに、それを悟ることができるようになるだろうと私は考えます。とにかく私は心の底からそうなることを希望してやまないのであります。」