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バートランド・ラッセルのポータルサイト


鶴見俊輔「バートランド・ラッセル事件」
『デューイ』(講談社,1984.12/人類の知的遺産v.60)、pp.121-122 所収


 一九四〇年二月二十六日に、バートランド・ラッセルがニューヨーク市立大学の哲学教授に任命された。ところが、米国聖公会(英国カソリック教会)の司祭 W.T.マニングは、『ニューヨーク・タイムズ』に公開書簡をおくって、ラッセルを宗教と道徳に反対するもの、姦通を弁護するものとして非難した。マニングは当時の米国の保守系の人たちにひろい影響をもっていたので、この手紙が新聞に出てから、ラッセルの任命に反対する声が、宗教団体、国家主義団体などからおこった。聖公会だけでなく、ローマ・カソリック教会に属する人びとも、ラッセル任命に反対しはじめた。ニューヨーク市民からとった税金でまかなわれている大学が、このような不道徳な外人の教育を許すべきではないというのである
 この問題は法廷にもちだされた。ある母親が、ニューヨークの最高教育裁判所に(ラッセル任命を承認した)高等教育委員会を告訴して、任命のとりけしを求めた。ラッセルは、公務員採用候補者に普通要求される能力テスト選抜試験をうけておらないこと、不道徳な説をとなえていることが、教授任命とりけしの理由だった。
 判事は、この訴えをきいて一九四〇年三月三十日に判決をくだし、任命は認められないとのべた。婚前性交、婚外性交、試験結婚、裸体画、自慰と同性愛とを認めるラッセルの著作の故に、ラッセルの任命はニューヨーク市民にとって無礼であり、この任命によってニューヨーク市立大学はわいせつなものの席をもうけることになるとのべた。(松下注:訴えられたのはあくまでも市の教育委員会であり、ラッセルは反論の機会が与えられることがなかった。/以下の引用及び右下写真は、R. Clark's B Russell and His World, p.87 より:In 1940, the New York Supreme Court ordered the New York Board of Higher Education to rescind Russell's appointment to a Chair in the College of the City of New York. During the hearing, Justice McGeehan claimed that Russell's appointment would 'in effect' (be) establishing a chair of idencency. Thie New York Times cartoon was one by-product.)

 J.デューイを委員長とする文化自由委員会は、ラッセル攻撃に反対する最初の団体の一つとなった。デューイは個人としても、ラッセル任命とりけしに反対し、H.M.カレンと共編で『バートランド・ラッセル事件』(ヴァイキング・プレス、一九四一年)を出版した。この本の中には、デューイ自身の書いた「社会的現実対警察法廷のでっちあげ」(Social Realities versus Police Court Fictions)という論文が入っている。

 ラッセル任命とりけしは、その後どうなったかというと、デューイの後援者バーンズ(松下注:美術品の収集で有名な、バーンズ財団の理事長)が自分の研究所でラッセルに西洋哲学史の講義の機会をあたえ、これは『西洋哲学史』として後に出版された。やがて、ハーヴァード大学がウィリアム・ジェイムズ記念講演をラッセルに委嘱し、これは、『意味と真理への探求』というラッセルの主著の一つとして出版されている。
 私は、ハーヴァード大学で、ラッセルのこの連続講演とピタゴラス主義についての講義とをきくことができたので、ニューヨーク市のラッセル追い出しの間接の恩恵をうけた。